「ベートーヴェン、ショパン、リスト、ラヴェル……パリとロンドンを行ったり来たりしながら、19世紀の音楽の世界を駆け抜けてきたよ」
Erard
※1961年プレイエルに吸収合併される
エラールの創業者、セバスティアン・エラール(1752-1831)はストラスブールの生まれ。16歳でパリに出て修業を始め、小型ピアノで名声を博するようになり、ルイ16世や王妃マリー・アントワネットの庇護を受ける。が、ほどなくして革命が始まり、難を逃れてイギリスへ渡った。これがどうやら運命の転機だったようで、エラールは1796年に「イギリス式アクション」を改良した楽器を完成させる。ヤマハが「日本楽器製造株式会社」を設立するのが1897年だから、優にその101年前だ。
ヴィーン式アクションとイギリス式アクションはそれぞれ進化を遂げてゆくが、かのスタインウェイが最終的に採用したのがイギリス式アクション、しかもエラールの設計を徹底改良していったというのだから、エラールの与えた影響の大きさは計り知れない。
エラールは十九世紀、英仏を股にかけた一大ピアノメーカーとして名声をほしいままにするが、やがてその経営にも翳りが見え、1961年にはガヴォーとともにプレイエルに吸収合併される。しかしその後も「エラール」のブランドは残され、1970年のプレイエル倒産時にも、プレイエルとともにエラールのブランドも買い取られ、シンメルがOEM生産を請負っていた。
今となっては博物館クラスの楽器ばかりとなったが、その偉大な足跡はいまを生きるピアノメーカー達にしっかりと受け継がれている。