世界シェアNo.1。その眼差しは熱情か、野心か。

「僕は手先が器用なんですよ──だから、ピアノのためには何でもしてきた。ご覧の通り、何でも、です。それでも、僕はピアノメーカーです」

YAMAHA

誕生日/1897年10月12日 身長/178cm

好きな食べ物/うなぎ、わさび、和菓子と緑茶、梅干し

 


 

 押しも押されぬ世界シェアNo.1ピアノメーカー。手先が器用で何でも作るため、楽器メーカーの枠を超えた事業展開をしている。ヤマハ発動機は血縁の弟。武家の出身で剣道の達人。

 

 経営センスもあり、事業にピアノにまっすぐ向かう熱情的な好青年として知られているが、実は目的のためには手段を選ばない腹黒い野心家の顔もある。札束で顔をひっぱたいたり気軽に事業計画を立てて瞬殺で潰してみたり鳴り物入りで買った名門を数年で減損処理(※)したりなどドライ過ぎてついていけない面も。そんな彼が、札束積み上げ合戦で競り勝って求婚して甘やかして大事にしているのがベーゼンドルファー。かつて売り出されていたスタインウェイを「追い越すための目標を今更買えるか」と全スルーしたのと対照的。

 

 丁寧な言葉づかいと柔らかい物腰で広く信頼を得ている。黒い髪を短く切り揃え、涼しげでスマートな立ち姿に、切れ長の目を細める笑顔。礼儀正しく振る舞う彼は、いかにも旧士族の紳士といえる。その裏に隠された黒ヤマハの顔を見たものはみな恐ろしさに口を噤むので、誰もがヤマハのことを好青年だと信じているそうな。

 

 「慎重とはスピードのことだ」という名台詞を残しているが、新しいことを始める初速と事業撤退時の決断の早さはまさにその哲学を物語っていると言える。

 

※減損処理/業績が上がらず、買い取った時より資産価値が下がった子会社の株を(会計上の)資産から外すこと。

 

・生まれた頃は音痴だった。東京音楽学校の前身「音楽取調掛」で音程の悪さを突っ込まれ、ひとり東京に残って西洋音階を学んだという。また、ピアノ製造はベヒシュタインの薫陶を受けている。

 

・時計職人の修業を積み、かつては病院の治療器具の修理を生業にしていたため、細かい作業が得意。今やピアノの金属パーツでは世界一の精度とも言われる。

 

・語学にも堪能だが、複数のプログラム言語やネットワーク仕様に精通し、ネットワーク界隈の一部では、彼の使う言葉が業界標準となったりもしているそうな。

 

・ベーゼンドルファー買収は突然のことではなく、もとよりヴィーンの管楽器メーカーへの支援や、ヴィーンフィルへの伝統的楽器製作供与等での貢献があった。だが、当時はヤマハ資本がベーゼンドルファーに入ることに、一部の有名音楽家からの抵抗があったという。